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日本最古の蒸留酒・泡盛の歴史

琉球王朝時代の泡盛造り

1400年代後半には、琉球で泡盛造りが始まっていたと思われますが、当時の泡盛の造り方は、現在とはやや異なっています。
まず、原料は米だけではなく、粟も混ぜて造っていました。
さらに、江戸時代の儒学者、新井白石の「南島志」(1719年)に泡盛の製法を記していますが、その中には、米を蒸して麹をまぶした後、「すべからっく水を下すべからず、封醸して成る、甑(こしき)を以て蒸してその滴露をとる」とあります。
簡単にいうと、アルコール発酵させる際に、水を混ぜなかったというのです。
現在の泡盛は、原料に麹を加えて米麹にした後、水と酵母を加えてもろみとし、アルコール発酵させます。米麹に水を加えずに個体発酵させる製法は中国のコウリャン酒の造り方にも通じるもので、1700年代の泡盛は、現在の造りとはかなり違っていたことが分かります。いったい、どういう味だったのでしょうね。

また、琉球王国での酒造りは、最初の頃は自由だったようですが、18~19世紀には王府が管轄するようになり、首里の三箇(赤田・崎山・鳥堀)と呼ばれる地域に限定されるようになりました。それも、焼酎職と呼ばれる、わずか40人(東恩納寛惇氏によると焼酎48職)の酒造所に泡盛造りを委託したというのです。
その管理はとても徹底したもので、原料の米や粟は王府から支給。蒸留器も王府管理のもと、蒸留が終われば返納し、銭蔵という場所で保管されたといいます。

しかし、庶民にとっても酒は必要不可欠のもの。王府が徹底的に管理していたようにみえても、実際には首里三箇の泡盛は離島に及ぶ各地に密売されたり、また地方でも米や芋を原料にした酒が密造されたりしていたようです。
「泡盛の文化誌」(萩尾俊章著)によると、「1800年代の史料では、沖縄本島のみならず、久米島や慶良間諸島、宮古・八重山の島々で盛んに酒造りが行われていたことが記されている」とのこと。
そこで琉球王朝も管理をあきらめ、19世紀半ば頃には、酒は造っても良いけれど、集落の大きさに合わせて数の制限をするようにというお布れを出したのだそうです。

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