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史書に登場する泡盛話

江戸時代は薬だった泡盛

泡盛は琉球国から徳川幕府への献上品として、または薩摩島津家の藩主、藩士たちを通して、江戸の有力者たちへかなりの量が運ばれ、その名も知れ渡っていたようです。
「徳川実記」「駿河実記」などの史書をひもとくと、「尚寧22(1610年)、将軍家に琉球焼酎を献上」、その2年後には「島津家久、琉球酒2壷を献ず」といった記述があります。
お酒ですから、もちろん飲みもしたのでしょうが、当時の泡盛はどうやら薬としてとても重宝されていたことを語る文献が、数多く残されています。
例えば、江戸時代に編纂された「和漢三才図会」(寺島良安編集/1712年)には次のように書かれています。
「琉球及び薩摩の泡盛酒は、みなこの国の焼酎で、気味はなはだ辛烈にして、痞(つかえ)を消し、積聚(しゃくじゅ)を抑へて、よく湿を防ぐ」
痞とは胸のつかえ、積聚はお腹のかたまりで胃けいれんや差し込みなど腹部の急な痛み、湿には湿り気のほかに疥癬(かいせん)という意味もあるようです。
また、刀傷の消毒にも欠かせない薬だったという記録もあり、ほかにも痰を切る、回虫を殺す、利尿作用があるなど、さまざまな効能があると、泡盛は薬として珍重されていました。徳川家康は、娘の嫁入り道具に泡盛壷を持たせたという話もあるほどです。

ちょっと気になるのは、「和漢三才図会」に記されている「琉球及び薩摩の泡盛酒……」という一節。そうなんです。江戸時代には、薩摩藩で造られる蒸留酒にも「泡盛」の名がつくものがあったようなのです。しかし、それは琉球国の泡盛とは区別されていたらしく、主に1600年代の徳川氏や武将、家臣などの言葉などを記録した「明良洪範」には、「泡盛酒は薩摩州にても造れども、琉球には及ばず……」と記録されています。
同じ泡盛の名がついたお酒であっても、泡盛はやはり琉球王国産のものがいいと評価されていたのですね。17世紀後半になると、各藩では泡盛が手に入るのを待ちきれず、日本酒の粕を蒸留した粕取焼酎を、酒屋に常備させるようになったともいいます。

泡盛が薬として利用されたのは、何も江戸時代だけではありません。地元沖縄でもちょっと昔までは、切り傷や擦り傷に泡盛、あせもができたときも泡盛、やけどをしたときは泡盛とキダチアロエの葉肉を塗るという民間療法がありました。今でも、使っている人はきっといるはずですよ。

ちなみに、「泡盛」という名称が初めて登場したのは1671年のこと。江戸幕府へ献上された数々のお品書きの中に、その名が初お目見えしています。

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