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史書に登場する泡盛話

ペリー提督もが飲んだ古酒

琉球王朝時代、泡盛(当時は単に『サキ』と呼ばれることが多かったようです)は、外国からの来訪者を接待するための国酒でもありました。琉球を訪れた外国人の中には、さまざまな場面で振る舞われた泡盛の印象を記録として残している人も少なくありません。
古くは中国や朝鮮、そして1800年代に入ってからはヨーロッパやアメリカからも琉球を訪れた異国の人々。その中には、黒船で浦賀に来航し、江戸の人たちを驚かせたアメリカのペリー提督一行もいたのです。
ペリーが琉球に上陸したのは1853年、浦賀に入港する前のことでした。琉球側は、何度も交渉を断ったのですが、軍隊を率いて城入りするぞと脅されて、仕方なくではありますが、ペリー一行を晩餐会に招待します。そのときに飲んだ泡盛について、テイラーという秘書官が『日本遠征記』に詳しく記しています。要約すると、次のようなものです。

「小さな盃に注がれた酒は、これまでこの島で味わった酒と比べてはるかに芳醇であった。まろやかに熟し、きつくて甘く、ドロリとした舌触り。フランスのリキュールに似ていた」

フランスのリキュールというのは、たぶんブランデーのことではないかと思われます。それにしても、この表現からすると、かなり良い古酒が振る舞われたのではないでしょうか。しかし、ほかの史書などを調べた研究者からは、このときに振る舞われた料理は、中国の使者や薩摩の役人たちに振る舞われるそれよりはランクを下げたものだったという話も聞かれます。進貢貿易を行っていた中国、1609年の侵攻以降、実質の権限を握っていた薩摩に遠慮しての接待だったに違いありません。

ペリー一行の来琉より約50年ほど前には、イギリスの軍人、バジル・ホールも琉球を訪れています。セントヘレナ島に幽閉されていたフランスのナポレオン皇帝に面会し、「世界には武器を一切持たない国がある」と琉球の話をして、皇帝を驚かせたという、あの人物です。
1816年に来琉したバジル・ホールは、『大琉球島航海探検記』という本の中で、琉球の王子と泡盛を酌み交わしたときのことをこう語っています。
「王子の卓では盃の応酬は少なかったが、ほかの卓ではあらゆる口実をもうけてサキの壷を回しては乾杯が繰り返された。サキはそれほど強くはなかったが、きわめて質が良く、強いられるまでもなく杯が乾された」

しかし、いつでもこのような上質な泡盛が振る舞われていたわけではないようです。1827年に来琉したイギリスのビーチー司令官の記録には、「泊村のもてなしでは食事や菓子類のほか、2種類の火酒、サキが並べられた。あまりにもきついので、途中からブドウ酒に替えてもらった」というような記述を残されています。ペリー一行やバジル・ホールに振る舞われたと思われる首里の泡盛古酒に比べ、こちらのお酒はまだ若い泡盛だったのかもしれませんね。

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