泡盛に使う主原料について
琉球王朝時代は、泡盛造りは王府によって管理され、首里三箇(赤田、崎山、鳥掘)と呼ばれる地域にだけ許され、原料の米や粟も、王府から支給されていました。
現在の泡盛の主原料は米のみですが、明治や大正時代までは、粟も混ぜて原料にしていたようです。ただ、大正13年に書かれた「琉球泡盛に就いて」(田中愛穂著)によると、大正の末期には粟を混ぜた泡盛はほとんどなく、原料は米だけを使っていたことが記されています。
さて、主原料の米ですが、王朝時代のことはよくわかっていないものの、明治時代からはすでに沖縄の米だけでなく、外国産の米が使われるようになっていたことが、当時の記録からも明らかです。
明治中期まで主に輸入されていたのは、唐米という中国や韓国の米。その後明治時代の末期になって唐米の値段が高くなったため、ベトナムやミャンマー、台湾など、アジア各地の米が輸入されて、泡盛の原料になりました。
その中でタイ米は大正の末期に輸入され始め、昭和の代に泡盛の原料として定着したそうです。
その主な理由として、次のような理由が挙げられます。
・硬質米のためさらさらしていて、米麹(黒麹菌を混ぜて糖化する行程)にしたときに作業がしやすい。
・水や酵母を加えてアルコール発酵させるときの温度管理がしやすい。
・当時使っていた他の米に比べ、アルコールの収穫量が多い。
このような背景があり、タイ米は昭和初期以降、現在でも泡盛を造るのに最適な米として、全酒造所で使われています。
原料の違いは、酒の味そのものにももちろん大きく影響します。つまり、泡盛のオリジナリティーあふれる味わいを作り出すために、米も大きく関与しているのです。